第13話 パパの感謝
リビングの真ん中に立っている女の子を見たとき、彼女の目に驚きが走った。
5年ぶりの再会。当時、栄養不良でガリガリだった少女が、今やこんなに眩しいほど美しくなってるなんて。
白シャツに黒のタイトスカート、淡いゴールドの細ベルトがウエストを飾り、足元はシンプルなピンヒール。
アクセサリーは腕時計だけ、ロングの巻き髪をさらりと流し、手には上品なミニバッグ。シンプルなのに、洗練されていて、高級感すら漂っている。
まさに女は化けるとはこのことか。
あの頃の惨めなガキが、今やこんな色気たっぷりの美女に化けるとは。
貴子は気に食わなかった。
認めたくはないが、目の前の陽咲は、顔もスタイルもオーラも、娘の瑠花に引けを取らない。
いや、むしろ…。
瑠花には、カネをかけて、最高の環境を与えてきた。
なのに、カネをかけられなかったこっちの方が、それに匹敵するなんて、こんな不公平ある?
「久しぶりね。今、何してるの?」
陽咲を取り込むために、貴子は精一杯、優しい口調を作る。
だが、陽咲は無視する。
貴子は肩をすくめて言った。
「まぁ、言わなくても知ってるけど。洛蘭グループの香水職人で、あの松雪No.5のクリエイターでしょう?」
陽咲は微かに眉を寄せた。
けど、別に驚くことでもない。
香水会社をやってる貴子が、これくらい嗅ぎつけるのは当然だ。
「陽咲、ウチに来ない?他人の下で働くより、こっちでやったほうがいいでしょ?それなりの待遇は約束するわよ?」
そう言われるや、陽咲は鼻で笑って踵を返す。
「誰があんたと家族だって?」
貴子の笑顔がピクリと引きつる。
だが、すぐに取り繕い、言い直す。
「なによ、家族じゃないって言うの?」
「この家で、私の家族は父さんだけよ」
陽咲は、冷え切った笑みを浮かべた。
昔、おばあさんの家から帰ったときのことを、今でも忘れない。
玄関に足を踏み入れた途端、貴子は眉をひそめ、「汚い、バイ菌がつく」と、彼女を押し出した。
使用人に命じ、消毒アルコールを全身に振りかけさせ、シュッシュッと消毒された後でなければ、食卓にすらつけなかった。
当時、陽咲は十三歳。
その悔しさと侮辱感は今でも忘れられない。
少女時代の彼女は、それでもこの家に受け入れてほしかった。
けど今はそんな気持ち、これっぽっちも残っていない。
ここは、もう、自分の帰る家じゃない。
「陽咲、ただいまー」
背後から聞こえた、父の正樹の声に、陽咲は振り返る。
リビングの灯りの下に立つ彼は、少し歳をとったように見えた。
でも、記憶の中の姿と、ほとんど変わらない。
彼の目に、久しぶりに会う娘への喜びがあったかと言えば――そうでもなかった。
「……父さん」
ぽつりと呼ぶと、正樹はほんの一瞬、言葉を失った。
こんなに、変わるものか。
五年ぶりに再会した娘は、目を見張るほど、美しくなっていた。
まるで、あの頃の彼女そっくりに。
そのとき、二階からもう一人、姿を現す。
瑠花だった。
彼女もまた、陽咲を見て、息を飲む。
は?コイツ、なんでこんなにキレイになってんの?
香水職人なんて、地味で堅物なイメージしかなかった。
なのに、なんだこれは。
女優でもやってんのか?
瑠花の胸に、じりじりと嫉妬が湧く。
彼女は、さっきまで「ちょっとメイク直してから降りようかな?」と考えていた。
だって、今の自分なら、陽咲なんか余裕で圧倒できる。
そう思っていたのに――。
くそっ!メイク、ちゃんとしときゃよかった……!!
陽咲は、父以外の人間には一瞥もくれない。
自分がこの家を出たのは、この母娘のせい。
一番、憎んでいる相手だ。
「陽咲、あなた、この五年、どこで何をしていた?なんで連絡の一つも寄越さなかった?」
父の問いには、どこか後悔と、少しの罪悪感が滲んでいた。
彼は、わかっていたのだ。
陽咲が家を出たのは、あの日、自分が彼女に振り下ろした一発のせいだと。
あのときは、感情に任せて怒鳴りつけた。
けど、後になって後悔した。
だが、気づいたときには、娘はもう帰ってこなかった。
「お父さん、今は香水会社で働いてるよ」陽咲はさらっと答えた。
「へぇ、香水会社で?何やってんの?」正樹は興味津々に尋ねる。
「香水職人」
事実をそのまま伝える。
正樹は納得したように頷く。
「ほう、なかなかじゃないか。あの仕事、センスと技術がないと務まらんって聞くが…才能がないと無理だよ」
貴子の目つきが一瞬ギラつく。自分が金をかけて育てた娘より、あの女の娘のほうが才能あるなんて、正直ムカつく。
「旦那様、お食事の準備が整いました」使用人が静かに声をかける。
「よし、飯食いながら話すか」正樹は陽咲を手招きした。
食卓では、みんなそれぞれ心の中で色々考えて、陽咲は全然楽しめなかった。瑠花はわざとらしく使用人をこき使い、自分がこの家のお嬢様であることを誇示する。
父は、それなりに近況を聞いてくるものの、どこかよそよそしい。
…とにかく、居心地が悪い。
やっとのことで食事が終わり、陽咲は立ち上がった。
バッグを持って別荘の外の道を歩きながら、彼女は振り返り、明るく照らされた別荘を見つめた。
その時、陽咲は何年も保ってきた強さが、少しだけ崩れた気がした。
結局、やっぱり一人なんだ……
その頃、別荘の中。
悠晴は風呂上がり、しっとりした髪をふきながら、自分の部屋に戻った。そして、昼間もらったメモを握りしめると、ある決意を固める。
そのまま、父の寝室へ直行。
ベッドサイドに置かれたスマホを手に取ると、メモの番号をポチポチ入力し始めた。
「……?」
陽咲のスマホが鳴る。
画面を見ると、知らない番号。
とりあえず出てみた。
「もしもし?」
「もしもし!きれいなお姉ちゃん!ボクだよ!」
「えっ?」
まさかの小さい声に、陽咲は思わず笑ってしまう。
「あの時の坊や?」
「うん!ボク、悠晴!お姉ちゃん、悠晴って呼んでいいよ!」
「じゃあ…悠晴くん、よろしくね」
ふわっとした小さな声が、さっきまでの寂しさをどこか遠くに吹き飛ばしてくれる気がした。
「ねぇ、お姉ちゃんって彼氏いるの?」
「…え?いないけど?」
「そっかー。じゃあ、どう?」
「どうって…なにが?」
「彼氏、つくる気ある?」
陽咲は吹き出した。
「もしかして、誰か紹介してくれるの?」
「うん!ボクのパパ!超イケメン、超金持ち、超優秀だよ!」
「……え?」
まさかの直球プレゼンに、陽咲は思わず沈黙。
この流れ…もしかして、悠晴くんの家ってシングルファザー?
なんか、ちょっと切なくなってくる。こんなにかわいい子なのに、お母さんは?
「悠晴くん、ありがとね。今日、怪我とかしてない?」
「うん!お姉ちゃんが助けてくれたから平気だよ!危なかったよねー、あのままいったら売られるとこだった!」
「……!!!」
陽咲の心臓が、ギュッと縮まる。
この子…そんなことを、あっけらかんと話せるくらい、怖い思いをしたんだ…。
その頃。
凌介はバスルームから出て、リラックスした様子でリビングに向かっていた。
すると、なにやらソファの上で息子が誰かと電話中。
近づくと、悠晴がパッと振り向いて、大きく手招きした。
「パパ!こっち来て!」
「……?」
言われるがままソファに座ると、悠晴がスマホを差し出してきた。
「パパ、きれいなお姉ちゃんにご挨拶して!」
その瞬間、凌介はピンときた。
今日、自分の息子を助けてくれた女性か。
なんとなく感謝を伝えたくなり、スマホを取る。
「……もしもし」
低く、落ち着いた声が、陽咲の耳に直接響いた。
……あれ?
この声、やばくない?
え、もしかしてこの子のお父さん…声優さん?