第6話 頭がおかしくなる
お腹大きくなった陽咲を迎えたメイドもビックリだな。数ヶ月ぶりに会ったら、もうすぐ出産だなんて思わなかったよ。
「ごめん、なんか温かいもの食べたい。ラーメン作ってもらえる?」
「もちろんですよ、奥様。少々お待ちください」
「ありがとう。ちょっと休んでるね」
その頃、凌介は書斎にいた。
陽咲を探し回ったせいで仕事が山積みになっていたが、今こうして彼女が戻ってきたところで、頭の中は一向に落ち着かなかった。
今、あいつの心を乱してるのは、まったく予想外だったその子供だ
この状況は、凌介にとって全くの想定外だった。
あんな、家を崩壊させた女の娘が、自分の子を孕んでいる。
そして、その子供の半分には、自分が忌み嫌う血が流れている。
こんなガキ、彼が愛せるわけがない。
陽咲はメイドが作ってくれたラーメンを食べた後、階段を上がっていった。
風呂に入り、髪を洗い、そしてまた眠るつもりだった。
妊娠後期になってから、眠気がひどい。
起きている時間より、寝ている時間の方が長い気がする。
……
晩飯時。
凌介がリビングに降りてくると、メイドが声をかけてきた。
「奥様は、夕飯は召し上がらないそうです」
凌介は豪華な晩飯を見ながら、まったく食欲がわかない。無言で車のキーを手に取り、屋敷を出た。
静かにしたいし、あの子のことをちゃんと考えたいんだ。
実は答えはもう目の前にある。
8ヶ月の子供、もう立派な命だ。
今さらどうしようもない。
それが何よりも苛立たしかった。
あの日、病院から連れ出した時に、すぐに俺の病院で処理しておけば、こんなことにはならなかったのに。
クソッ……
怒りをぶつけるように、黒のスポーツカーは夜の街を疾走した。
低く唸るエンジン音が、彼の苛立ちを代弁するかのように響く。
しばらく無意味に車を走らせた後、凌介はお馴染みの高級バーに車を停めた。
警備員が彼を見て、恭しくドアを開ける。
黒のシャツに、黒のスラックス。
長身に映えるその姿は、まるで闇夜に君臨する王。
危険な香りを纏いながらも、女を惹きつけずにはいられない、圧倒的な色気。
凌介がカウンター近くのボックス席に座った瞬間、すぐ近くでいつもバーで男を狙ってる女が目をつけた。
こいつ、女を狂わせるようなオーラを持ってるんだ。
運がいいわね。こんな極上の男が転がり込んでくるなんて。
女は腰をくねらせながら、ゆっくりと凌介のボックス席に近づく。
「ねぇ、ひとり?」
テーブルに手をつき、わざと胸元を強調する。
男なら、誰だって釘付けになるはず。
だが、凌介は酒を口に運んだまま、顔をしかめた。
「どっか行け」
その冷たい一言に、女の笑顔がピクリと引きつる。
「そんなこと言わないでよ~。ね、一緒に飲も?」
馴れ馴れしくテーブルに身を乗り出す。
その瞬間、女の指が素早く動いた。
小さな錠剤を、凌介のグラスの中へ。
この女は、そんな手を使えばこの男が自分を受け入れると思ってた。
だが次の瞬間、女の細い首を大きな手が鷲掴みにした。
「――っ!?」
気づけば、彼女の身体はソファに叩きつけられていた。
「俺がどけって言ったの、聞こえなかったか?」
氷のような視線が、至近距離で女を射抜く。
刹那、女の顔が青ざめた。
この男が、普通の人間ではないことを悟るのに、時間はかからなかった。
「ご、ごめんなさい……!」
女はようやく自分がヤバい相手に絡んだことに気づき、顔を真っ白にして、男の手を掴んで咳き込んだ。
震える声で謝罪する女に、凌介は冷笑を浮かべた。
「さっさと消えろ」
凌介は普段、女に手を出すようなことはしない。だが、今夜は別だ。機嫌が最悪すぎる。
女はバッグを掴むと、逃げるように店を出た。こんなイケメンが、まさか女に興味ゼロとはな。
「チッ、私の顔とスタイルに自信あったのに、あの男、目ついてんの?」
それでも、もうこの店にいられない。プライドがズタズタだ。
…ま、せめてもの仕返しはしといたけどね。
もしあの酒を飲んだら、女なしじゃいられない。
誰に引っかかるか知らないけど、チッ!
凌介はイラつきながらグラスを持ち上げると、残りの酒を一気に飲み干した。
ここにいるのもウンザリだ。キーを手に立ち上がると、脳裏にはいつの間にか、あの白い肌の顔が浮かんでいた。
…クソ、なんであいつばっかり思い出す?
この半年、女なんて近づけなかった。どうしても我慢できない時は、自分で処理してきた。
…しかも、毎回アイツを思い浮かべて。
これが凌介を非常に悩ませたこともあったが、どうしても自分では抑えきれず、毎回彼女を思い出すことでしか興奮できなかった。
時間がじわじわと過ぎていく。
片手でハンドルを握る凌介は、徐々に暑さを感じ始めた。エアコンを最大にしても、汗が滲む。
「…チッ」
イラつきながら、シャツのボタンを二つ外した。
身体の内側から、燃えるような熱が押し上げてくる。
どこかで発散しないと…
夜は更け、時刻は九時半。
別荘で、陽咲はちょうど寝て目が覚めたばかり。元気を取り戻して、肌もピカピカしてる。
お腹が膨らんでなければ、後ろ姿はまだ少女みたいに細く見える。
ゆるいルームウェアに着替え、喉の渇きを感じてキッチンへ向かう。
水を飲みながら、ぼんやりと考える。
…凌介は、私を病院に連れて行かなかった。もしかして、この子を認めてくれるの?
その時、外から車の音が聞こえた。陽咲の心臓が跳ねる。
ヘッドライトが窓に映り、車が一直線に廊下の前へ止まる。
…戻ってきた?
部屋に戻ろうとした陽咲は、手にしたコップを握りしめたまま、思わず立ち止まった。
…上半身裸で、シャツを片手に持った男と鉢合わせしたからだ。
「っ…!」
慌てて背を向ける。
…なんでそんな格好で入ってくるの!?
車の中から既におかしかった。体の熱が収まらず、耐えきれずシャツを脱いだ。
だが——
…その時、目に入ったのは細い背中。
少女のように華奢なシルエット。
…ダメだ。
さっきまで必死に押さえていた火が一気に再燃して、理性がぶっ飛びそうになった。
喉が渇く。
喉仏が上下し、生唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。
この屋敷には、もう誰もいない。
「こっち来い」
低く掠れた声が、静寂を切り裂いた。
陽咲はゆっくりと顔を伏せながら、男の方へ向かう。
話したいことがある。
…この子のことを、ちゃんと。
男はもうソファに座ってて、彼女は仕方なくソファのところまで歩いて行った。
顔を上げて男の目と合った瞬間、思わずビクッとした。
「っ…!」
男の目は血のように赤くて、まるで狂った獣が住んでるみたいで、いつでも彼女を引き裂きそうだった。
彼女の身体が、反射的に後ずさる。
だが、細い手首が鋭く捕まれた。
「逃げられると思うか?」
「ダメ…私、もうすぐ産まれるの…だから、今は…っ!」
「誰がダメだって?」
凌介は冷笑し、息が荒くなった。
彼女の小さな顔を見て、6ヶ月経って、身体はもう骨のように彼女を欲してた。