第4話 見つかった
A市。
煌びやかな都会の空気が濃厚に漂う街。
凌介はあらゆる手段を駆使して彼女を探したが、それでも行方は知れず。
ほぼA市全体をひっくり返したと言っても過言じゃない。
警察にも特別捜査チームを立ち上げさせたが、それでも手掛かりひとつ掴めないままだった。
誰にも分かるはずがない。あの冷静な顔の下に渦巻く、彼の苛立ちと焦燥を——。
警察が川から女性の遺体を引き上げるたびに、凌介は真っ先に駆けつけた。
そして、それが彼女ではないと分かった瞬間、安堵ともつかぬ妙な感覚に襲われる。
生きていてくれよ。見つけ出して、俺の怒りを受け止めてもらわなきゃな。
死ぬなんて許さねぇ。お前にはまだ返すべきものがある。
贖うべき罪がある。
勝手に消える資格なんて、与えた覚えはねぇんだよ。
だが、認めざるを得ない事実がひとつ。
もし彼女が生きているのな。
……腹の中のガキは、もう八ヶ月になっているはずだ。
完全に形を成し、いつ産まれてもおかしくない命。
ありえねぇ。彼がこの世で一番憎んでる女が、彼の子供を産むなんて。
そんな屈辱、耐えられるわけがない!
ガシャン!
オフィスに響く、鈍い音。
凌介は手に持っていた資料を思い切りデスクに叩きつけた。
書類を運んできたばかりの秘書が、肩をビクッと震わせる。
危うく手元の資料を落としそうになりながら、そそくさと後ずさった。
最近の社長は、まるで時限爆弾。
いつどこで爆発するか、誰にも分からない。
みんな息を潜めて、彼の機嫌を損ねないように気を遣っていた。
そんな時、電話が鳴る。
秘書は一礼し、そっと部屋を出ていった。
凌介は、深く息を吸い込み、受話器を取る。
「もしもし」
「夜神さん、奥様の居場所が判明しました」
その瞬間、彼の目が鋭く光った。
「……確かですか?」
「間違いありません。H市のとある村で生活しているようです。病院の記録から判明しました。写真も、名前も、一致しています」
「助かりました。詳しい住所を送ってください」
「夜神さん、捜索の支援が必要なら……」
「いえ、妻を迎えに行くくらい、自分でやります」
凌介は静かにそう言った。
だが、その声の奥底に渦巻いていたのは、抑えきれないほどの怒りだった。
まるで凪いだ海面の下で、荒れ狂う波が牙を剥いているように。
待ちすぎた。我慢も限界だ。ようやく姿を現したな。
お前、俺の怒りを思い知るがいい。
凌介は拳をギュッと握りしめ、その端正な顔には鬼気迫る険しさが滲み出ていた。
陽咲が逃げたせいで、こっちの堪忍袋は完全に切れた。
覚悟しろよ――容赦しねぇぞ。
……
H市の小さな町。
陽咲は樱子とともに、バスに乗り込んだ。
臨月の身体では、移動も楽じゃない。
ここ数ヶ月、彼女を支えてきたのは、樱子だった。
樱子は陽咲のことが好きだった。ただの美人ってだけじゃなく、頭もキレるし、なんでもできる。
田舎から都会の大学に進んだ彼女は、何かと肩身の狭い思いをしてきたけど、それでも陽咲はずっと彼女に優しくしてくれた。
「いやぁ、あんた、えらいべっぴんさんやなぁ!まるでテレビの女優さんみたいや」
隣に座っていたおばちゃんたちが、陽咲を見て思わず声を上げた。
「ほんまや!こんな美人、初めて見たわ!」
「旦那さんはさぞかしイケメンなんやろなぁ〜」
陽咲は少し微笑みながら、「いえ……」と小さく首を振った。
「何ヶ月や?」
「八ヶ月目です」
「もうすぐやなぁ。今日は検診か?」
「はい」
そんな他愛のない会話が、今の陽咲には心地よかった。
ここは穏やかで、優しくて、あたたかい。
凌介さえいなければ。
……
A市からH市への直線距離は、約二時間のフライト。
プライベートジェットの機内で、凌介は静かに窓の外を見つめる。
寒々しい眼差しが、厚い雲の向こうを見据えていた。
「……やっと捕まえたぞ」
愛なのか、憎しみなのか。
それすら分からないまま、彼の心は狂気を孕んでいた。
陽咲——
お前は俺の怒りを、受け止める覚悟があるんだろうな?
……
昼の11時
空港の方角から、黒いSUVが4台。ナビが示す最終地点に向けて爆走中。
その頃、陽咲は町の病院で定期検診を終えた。赤ん坊は元気そのものだったが、本人はちょいと貧血気味。医者から鉄剤を処方されるハメに。
昼メシは樱子を誘ってレストランへ。そのあとも街をふらっと歩き回り、服を数着買った。ベビー服はすでに山ほどあるのに、つい手が伸びちまう。
午後2時発のバスに乗り込み、帰路につく。
その頃——
田舎道を進む4台のSUV。二台目の後部座席に座る凌介は、窓の外を流れる寂れた村の風景を無言で眺めていた。
眉間にシワが寄る。
こんなド田舎に、ずっといたってのか?
捜索に時間がかかったワケだ。こんな辺鄙な場所に隠れてたんじゃ、見つからねぇはずだ。
けど、こうして見ると悪くない。連なる山々に囲まれた景色は、都会じゃまず拝めない原風景。
ナビが示した住所に到着。ボディガードの一人が車を降り、近くの村人に尋ねに行った。
数分後、戻ってきたボディガードが報告する。
「夜神さん、聞き込みしました。宮園さんなら知ってるって。今朝、検診のために町に行ったそうです。帰宅は午後4時ごろになるって話でした」
凌介の眉がピクリと動く。
そうか、もうそんな時期か。腹もだいぶ目立ってきたな。
視線を村の入り口に向ける。ここは出入り口が一本しかない。待ち伏せするにはうってつけの場所だ。
「車で待つ」
それだけ言うと、ポケットからタバコを取り出し、窓を開けて火をつけた。
煙たげをくゆらせながら、脳裏にいろんな思いが浮かぶ。
この半年、ずっと彼女を捜してきた。
……それだけじゃねぇ。
捜してる間、妙に胸騒ぎがしてた。どこかで彼女の死を恐れてたのかもしれねぇ。
そして、腹の中の子供のことも、気にならないわけじゃなかった。
けど、そんなもん全部、クールぶった顔の下に押し込んでただけの話だ。
誰にも気取られねぇようにな。
タバコを深く吸い込んで、煙たげに目を細める。
なんだよ?
俺が甘くなってる?
バカ言え。
アイツの母親のせいで、彼の家庭はメチャクチャになった。
親父はそいつと一緒に事故死し、上流階級の笑い者にされた。
母さんはずっと苦しんで……遺書を残して、消えちまったんだ。
彼の幼少期も、人生も、あの女にメチャクチャにされた。
その娘を許す?
冗談じゃねぇ。
許すどころか、地獄を見せてやる。
その時——
村の入り口に、一台のオンボロ軽バンが止まった。
よりによって、凌介の車の真正面。
この黒のSUV四台が、こんな貧乏くさい村の入口に並んでるのは、まるで異世界から来た代物みてぇに浮いてる。
軽バンのドアが開き、樱子が先に降りる。
続いて、彼女が——
しっかりした手つきで、後ろの陽咲を支えた。
サングラス越しに、凌介は目を細める。
……来たな。
彼の視線の先で、陽咲がゆっくりと降りる。
以前より少しふっくらした頬。長く伸ばした前髪が風になびき、白い指がそれを耳にかける。
ふっと微笑むその顔が、やけに幸せそうに見えた。
まるで、動く油絵みたいに、息をのむ美しさだった。
その瞬間、凌介の頭が真っ白になった。
だが、すぐに冷たい目つきに戻り、ドアを開けて車を降りた。