第15話 誰にも奪わせない
「夏帆も、ただの冗談だったのよ」
飯田美沙は苦笑し、改めて提案を続けた。
「それなら、咲子との婚約の日取りは──」
だが、飯田美沙が最後まで言い切る前に、木村雅也が遮った。
「おばさま、お忘れではありませんか?俺の祖父が亡くなって、まだ半年ですよ?地方の習わしでは、孫は三年間喪に服さなければならず、その間は婚礼を行うことができません」
「はぁ…」
飯田綾は、深くため息をついた。
「木村じいさんは、本当に早く逝ってしまったな…。仕方がない。では、婚約の話はまた後日だ」
この理由には、さすがに飯田美沙も何も言えなかった。
だが、飯田咲子の瞳には、絶望の色が広がっていた。
また延期…いつになったら正式に婚約を結べるの…?
飯田孝太は、木村雅也を意味深な視線で見つめた。
──本当に祖父の喪が理由なのか? それとも、雨宮夏帆が理由なのか?
「夏帆、じゃあ木村家との縁談は無し!よし、私がちゃんと選んであげる。あなたにぴったりの相手を見つけてあげるわ!木村家に負けないほどの名門をね!」
飯田綾は、孫娘を優しく安心させるように言った。
「やったぁ!ありがとう、おばあちゃん、大好き!」
雨宮夏帆は、飯田綾の頬にキスをした。
昔と変わらず、おばあちゃんに甘える姿を見せた。
それを見ていた飯田孝太と木村雅也は、互いに視線を交わしながら、ふと懐かしい気持ちになっていた。
特に木村雅也は、じっと雨宮夏帆を見つめたまま、目をそらすことができなかった。
彼の脳裏には、過去の雨宮夏帆の姿が次々と蘇ってきた。
いつも自分の後をついて回り、笑顔を向けていた彼女の姿が。
なぜ、あの時は彼女を疎ましく思ったのだろう?
こんなにも、可愛いのに。
その木村雅也の視線を目の当たりにし、飯田咲子は拳を強く握りしめた。
木村雅也は、私のもの。
4年前、私が飯田家に戻った時、彼を見た瞬間から一目惚れしたのよ。
彼は、もともと私のもの。
誰にも奪わせない──!!
木村雅也が病室を出ると、飯田咲子はすぐに彼の後を追った。
飯田咲子は甘えたように木村雅也の腕にしがみつき、甘い声で囁いた。
「雅也兄さん、もうずいぶん長いことデートしてないよね。ちょうど新しい映画が公開されたし、一緒に——」
「最近は忙しくて時間がない」
木村雅也はそっけなく言い放った。
「夜なら時間あるでしょ?映画一本観るくらい、そんなに時間かからないよ?」
「新しいプロジェクトを任されて、毎日深夜まで残業してる。いい子だから、時間ができたら相手するよ」
彼はそう言うと、さりげなく飯田咲子の手を振りほどいた。
飯田咲子の瞳がみるみる涙が浮かべた。
「雅也兄さん…もしかして、私じゃなくてお姉ちゃんのことが好きなの?」
木村雅也は正面から答えず、淡々と宥めるように言った。
「俺が結婚するのはお前だよ。元々婚約するはずだったのもお前だろう。ただ、俺たちは18年間すれ違ってしまっただけだ」
「じゃあ、もう行くぞ。変なこと考えるなよ、咲子」
そう言い残し、木村雅也は踵を返した。
その背中を見送る飯田咲子の目には、嫉妬と怒りの炎が激しく揺らめいていた。
四年前、彼女はただの田舎娘で、太っていて、何の取り柄もなかった。
自信なんてなかったし、木村雅也に釣り合わないとさえ思っていた。
だが、数年の努力を重ね、彼女は変わった。
習い事をし、美容にも気を使い、見違えるほど美しくなった。
なのに——
それでも彼は、見てくれない。