第5話 同じ穴の狢
飯田孝太の怒りが込み上げ、声を荒げた。
「木村雅也、お前今日ずいぶん様子がおかしいな? 咲子の前でずっと飯田夏帆を庇っている。ふざけるな! 失格なのは、婚約者であるお前の方だろう!」
そう言い捨てると、軽蔑の目で雨宮夏帆を見つめた。
「お前、なかなかのやり手だな。出所したその日に、もう木村雅也の気を引くとは。足を引きずって歩いていたが、あれもわざと惨めなフリをして、彼の同情を買うためじゃないのか?」
「それに、こいつにホテルの部屋まで取らせたそうじゃないか? 男女が同じ部屋で何をしていたのか、言ってみろよ?」
雨宮夏帆は怒りを抑えながら、きっぱり言い返した。
「飯田さん、あなたの心が汚れてるから、何を見ても汚く見えるんです!」
「私に部屋を取って、身の回りを片付けてからおばあちゃんの見舞いに来いと言ったのはあなたたちですよね? じゃあ、私にお金をくれました?」
「木村雅也が払ってくれなかったら、私に泊まる金なんてあるわけないでしょ?」
「足の傷も本物ですよ。健康診断の報告書にもしっかり『足に障害あり』って書いてあったでしょ?」
「それに、私は今日出所したばかりなのに、あなたに車から乱暴に引きずり出されて、足をひねったこともありましたよね? もうお忘れですか?」
「まあ、無理もありません。もう実の妹を見つけたことだし、赤の他人の私なんてどうでもいいですもんね?」
彼女は一気に溜まった怒りをぶちまけた。
もう監獄から出たのだ。
もうただのゴミなんかじゃなくなったんだ。
これ以上飯田家の言いなりになるのも、飯田家にいじめられるのも御免だ!
「お姉様…お兄ちゃんの代わりに謝ります。ごめんなさい…」
飯田咲子は涙ぐみながら、深々と頭を下げた。
「だから、もうお兄ちゃんに怒らないでください。お兄ちゃんも悪気があったわけじゃないです。全部、私のせいです。私が帰ってこなければ、こんなことにはならなかったのに…」
そんな健気で優しい態度に、飯田孝太の心はすっかり溶かされた。
彼はすぐに咲子の背中を優しく叩き、なだめるように言った。
「咲子、お前のせいじゃない。悪いのはこいつだ。そいつはお前を騙そうとしてるんだ。こんな奴の言うこと、真に受けるな」
「それに、お前に言い忘れてたけど、飯田夏帆は性格が横暴な上に、芝居が上手い。話を盛るのも得意だ。だから、こいつの話は話半分に聞いとけ」
「俺はこいつと18年間も一緒に暮らしてきた。誰よりもよく知ってるんだ」
飯田美沙も泣き止み、咲子に優しく声をかけた。
「お兄ちゃんの言う通りよ。これはあなたのせいじゃないから、自分を責めないで」
この言葉はつまり、飯田孝太の言い分が正しく、雨宮夏帆の話は嘘まじりだと言っているようなものだった。
家族愛に満ちたその光景を見つめながら、雨宮夏帆は思わず笑ってしまった。
演技? 話を盛る?
こんなのが「家族」だったとは、恥ずかしすぎる!
彼女が地獄のような監獄で4年間も苦しんだことなど、まるでなかったかのように。
反論すら許されず、悪意で彼女の言葉を決めつける。
もう、こんな人たちと一緒にいるのは耐えられない。
「すみません、今日は先にホテルに戻ります。おばあちゃんが目を覚ましたら、また伺います」
そう言い残し、彼女は静かに頭を下げて、病室を後にした。
雨宮夏帆がホテルに戻り、ベッドに横になったその時、部屋の扉がノックされた。
扉越しに聞き覚えのある声がした。
「夏帆、俺だ。木村雅也」
彼女は少し迷ったものの、結局ドアを開けた。
木村雅也は両手に大きな袋を抱え、部屋に入ろうとした。
だが、彼女はその前に立ちはだかり、冷淡な口調で言った。
「木村さん、不都合じゃないですか?」
飯田家の連中に知られたら、また疑われるに決まっている。
「二人きりで何をしていたのか」と。
そんな下らない噂なんて気にしないつもりだったが、それを口実にまた彼女を傷つけるのは許せなかった。
木村雅也は一瞬、戸惑った。
冷たく無表情な彼女の顔を見て、胸の奥がざわついた。
彼女は今日、一度も自分を「雅也兄さん」と呼ばなかった。
以前のように、無邪気に話しかけてくることもなかった。
まるで別人になってしまったようだった。
「…まあいい。薬と食べ物を持ってきたから、これだけ受け取ってくれ」
彼が手渡そうとした瞬間、足音が近づいてきた。
「お前、なんでここにいるんだ?」
飯田孝太だった。
「お前の妹に差し入れを持ってきただけだ」
「俺の妹のことは、もうお前に関係ない」
飯田孝太は木村雅也を値踏みするように見つめ、軽蔑の色を浮かべた。
彼の真意を疑っているようだった。
次に、彼は雨宮夏帆を睨みつけ、責めるような口調で言った。
「俺が言ったよな? 木村雅也は今、咲子の婚約者だって! お前、どうしてもっと距離を置けないんだ?」
「それとも、4年間牢獄にいたから、家族に恨みを持って、わざと木村雅也に近づいて咲子を困らせようとしてるのか?」
「お前、本当に性格が悪いな!」
理不尽な怒鳴り声に、雨宮夏帆は怒りで顔が赤く染まった。
そして、睨みつけるように言い放った。
「飯田孝太、そんな風に人を捕まえて噛みついて、自分が犬であることをアピールしているの!?」
「貴様、俺を犬呼ばわりしたな!?」
木村雅也は雨宮夏帆の味方に回った。
「いい加減にしろ! 彼女は何もしてない!」
だが、雨宮夏帆はそんな木村雅也にも鋭く睨みつけ、怒鳴った。
「あんたも黙って! そんな偽善的な擁護なんて必要ない! あんたたち二人とも、同じ穴の貉!どっちもクズよ!」
「お前ら、どっちもクズだ。蛇と鼠は同じ穴の狢だな。」
その言葉に、飯田孝太は目を見開いた。
彼女は木村雅也に泣きついて、同情を引くどころか、彼にまで牙を剥いたのだ。
「消えて! 二人とも今すぐ消えなさい!」
怒りのあまり、雨宮夏帆は勢いよくドアを閉めた。
部屋の外に締め出された二人は呆然と立ち尽くした。
飯田孝太は何度かドアを叩いたが、雨宮夏帆は開けようともしなかった。
ついには彼の怒りは爆発寸前だった。
その様子を見て、木村雅也はため息をつき、肩をすくめた。
「もう諦めろ。もし俺が彼女の立場でも、お前の態度には腹が立つよ。余計なことを言うぐらいなら、黙っていたほうがマシだ」
飯田孝太は睨みつけ、皮肉たっぷりに言い返した。
「お前、なんでこんなタイミングでホテルで飯田夏帆と偶然会ったんだ? それに、彼女の宿泊費まで払うなんて」
「こんな分かりやすい『偶然』、誰が信じると思ってるんだ?」
「俺が刑務所から帰る途中で見覚えのある車があったが、あれはお前の車だろう? つまり、お前は最初から彼女を迎えに行くつもりだったんだな?」
木村雅也は否定しなかった。
その態度に、飯田孝太はますます苛立ち、食ってかかった。
「お前、まさか彼女のことが好きなのか?」
木村雅也は、それにも答えなかった。
飯田孝太はついに堪忍袋の緒が切れ、彼の襟を掴み、怒鳴りつけた。
「お前、二股したいのか? 最低なやつだな!」
「お前のやってること、咲子に対して申し訳ないと思わないのか?」
しかし、木村雅也は冷たく笑い、鋭く言い返した。
「妹同士でも、お前の贔屓ぶりはすごいな。お前は夏帆が苦しもうがどうでもいいんだろう? 他の誰かが彼女を気にかけることも許せないのか?」
「お前が気にかけて何の意味がある? 彼女はお前のことなんか眼中にないし、お前が買ったものなんて受け取ろうともしないだろう?」
飯田孝太は冷笑した。
「四年前にお前がしたことを、彼女が簡単に許すとでも思ってるのか? 甘すぎるんだよ」
「許すはずがないし、俺たち全員のことを憎んでるさ、夏帆は」
木村雅也の声は低く、怒りが滲んでいた。
「四年前、俺たちは彼女を裏切った。特に、お前がな!」
「彼女が牢屋に入れられた四年間、お前は何をした? 一度でも面会に行ったか? 一度でも彼女を気にかけたか?」
「それどころか、お前は飯田夏帆はもう飯田家とは関係がないとまで言い放った!」
「彼女があんな目に遭ったのは、お前のせいでもあったんだぞ!」