第13話 出会わなければよかった
「四年間、この子がどんな地獄を味わってきたか、あなたたちは気にしたことあるの?」
飯田綾は激昂し、激しく咳き込んだ。
「おばあちゃん、もう話さないで! 手術したばかりなんだから、そんなに怒っちゃダメだよ!」
雨宮夏帆は涙を拭い、慌てておばあちゃんの背中をさすった。
「いい子ね、夏帆は本当にいい子。この家の者は、みんなあなたに借りがある。 これからは、おばあちゃんと一緒に暮らして?おばあちゃんがいる限り、誰にもあなたを傷つけさせない! そんなやつがいたら、この老婆が命を懸けてでも守るよ!」
飯田美沙は納得がいかず、強く反論した。
「お母さん、咲子だってあなたの孫娘でしょう? なんでそんなに夏帆ばかり贔屓するんですか? 借りがあるって言うけど、咲子だって幼い頃、もっとひどい苦しみを味わってきたのですよ? 夏帆は4年だけで、咲子は18年も苦しんできたのですよ!」
飯田美沙がさらに言い募ろうとしたとき、飯田孝太が強く遮った。
「母さん、今はその話はやめてください。おばあちゃんは今起きたばかりですし、医者が刺激を与えるなって言ってたはずです!」
飯田美沙は仕方なく口をつぐんだ。
彼女は飯田咲子のそばに立ち、そっと手を叩いて、安心させるような視線を送った。
必ず木村雅也との婚約を成功させる
という意思を込めて。
雨宮夏帆は今、心の中がずっと波立っていた。
先ほどのおばあちゃんと飯田美沙の会話は、彼女を感動させると同時に、信じられない気持ちにもさせた。
まさかおばあちゃんが自分を助けるために、飯田家の人々に圧力をかけるとは…。
飯田咲子と木村雅也の婚約式に出席しないという条件を突きつけ、脅しまでかけるとは思わなかった。
まさに、あらゆる手を尽くしてくれていたのだ。
「夏帆、あなたは昔から木村雅也のことが好きだったでしょ?彼と結婚してみる気はないか?」
と、飯田綾が提案した。
この一言に、場にいた全員が驚愕した。
「お母さん、一体何を言っているのですか?今、雅也と婚約しているのは咲子ですよ!夏帆と結婚させることなんてありえません!」
と、飯田美沙は強く反対した。
「この縁談は、私と亡くなったじいさんが木村家のおじいさんと決めたことだ。誰が嫁ぐかは、私が決める!」
そう言いながら、飯田綾は雨宮夏帆の方を見つめた。
「あなたは何も遠慮することはない。木村家に嫁がせれば、木村家の庇護を受けることができる。そうすれば、もう誰もあなたを傷つけることはできなくなるよ」
「私はもう年寄りだ。長くは生きられない。だからこそ、私がいなくなった後もあなたを守れる強い後ろ盾が必要なんだ」
この言葉を聞いて、雨宮夏帆の目に再び涙が浮かべた。
おばあちゃんはいつも彼女のことを第一に考えてくれる。
しかし、彼女はもう木村雅也のことを好きではなかった…。
拒否しようとしたその瞬間——
「お姉様、私は本当に雅也さんのことが好きなの…お願いですから、私から雅也さんを奪わないでください…」
と、飯田咲子が涙ながらに訴えた。
「夏帆、なんで咲子から男を奪おうとするの?この子は生まれてからずっと、あなたの実の母親の元でどれほどの苦労をしてきたか、あなたも知っているでしょう!あなたは一生、この子に借りがあるのよ!」
飯田美沙の非難を聞き、雨宮夏帆の胸に鋭い痛みが走った。
「生みの恩より、育ての恩」とは言うけれど——
飯田美沙が18年間も自分を育ててくれたことには、彼女も感謝していた。
しかし、今目の前にいる母は、あまりにも咲子に肩入れし、自分に対しては冷たすぎた。
彼女は無表情のまま、飯田美沙を見つめた。
「咲子が苦しんできたことは、私のせいじゃない。それに、もし選べるなら、私は飯田家なんかに入りたくなかった。あなたとも、最初から出会わなければよかった」
「夏帆、ママはそんなつもりで言ったわけじゃ…」
飯田美沙は唇を震わせ、喉が詰まるような感覚に陥った。