第19話 彼女を信じていなかった
拓がすでに許可していたのだ。
泉は皮肉を感じた。
拓は玲奈のために、何度もMQの仕事に干渉してきた。
彼の一言で、準備していた計画は全て崩れ、彼女はその後始末をしなければならない。
彼は玲奈を満足させることしか考えていない。結果がどうなろうと、それは泉の問題であり、彼には関係がなかった。
小森宏美は呆れたように言った。
「社長が許可したんですか?社長がこんな小さなことにまで口を出すなんて」
玲奈は微笑みながら、
「小森さん、これが小さなことだと分かっているなら、拓が『君に任せる』と言ったのも当然でしょ」
小森宏美はさらに反論しようとした。
「安部さん、誰が見ても、私が言う『小さなこと』は社長にとっての小さなことです。ですが、メイクとスタイリングは撮影において非常に重要な要素です。その点を軽視しているのが疑問なんですよ」
川田美優は冷たく言い放った。
「つまり、玲奈さんが嘘をついているとでも言いたいのですか?朝倉部長、もし信じられないなら、社長に電話して確認すればいいでしょう。この件は社長から許可をいただいています。変更はしません。それが気に入らないなら、契約を解除しても結構です。玲奈さんには他の広告契約なんていくらでもありますから」
玲奈は黙って立っていた。
小森宏美は怒りで手を震わせながら、出かけた。
「こんな無礼な連中と仕事するのは初めてだわ。もし広告契約が必要ないなら、なぜ小川佑希から奪ったの?偽善者にもほどがある!」
小森宏美は業界内で有名なヘアメイクアーティストで、数々の映画やドラマのスターたちと仕事をしてきた。
昨年、あるウェブドラマがヒットし、主演の男性俳優が一躍人気者になった。その際、ヒロインも知名度を大きく上げたが、彼女の容姿については「平凡」「顔のラインが鈍い」と批判されることが多かった。しかし、小森宏美の指導のもとで撮影された写真集が大ヒットし、一気に注目を浴びることとなった。
傍らでその様子を見ていたカメラマンの宇野清は小森宏美を慰めるように言った。
「怒らないで。まずは、この件をどう解決するかを考えよう。もし彼女がどうしてもメイクを変えないというなら……撮影の方針を変更するしかないかもしれない」
小森宏美は泉に視線を向け、
「泉さん、どうするつもり?」
「とりあえず、休憩室で待っていて。私は電話をかけてくるから、戻ったら話し合いましょう」
「分かったわ」
泉は撮影セットの誰もいない場所に移動し、スマートフォンを取り出して拓に電話をかけた。
しばらくすると電話が繋がり、落ち着いた男性の声が聞こえた。
「もしもし」
「泉です」
「何か?」
「社長、安部さんが自前の化粧師とメイクを使うことを許可されたのですか?」
拓は一瞬黙り、答えた。
「ああ、そうだ。どうした?」
「今日の撮影計画は、化粧師やカメラマン、そして道具担当と入念に調整されたものです。彼女のメイクとスタイリングは計画に全く合致せなくて、変更を拒否しています。それどころか、契約を打ち切ると脅してきました。このままだと広告の最終的な仕上がりに影響が出るかもしれません」
泉が話し終えると、拓は沈黙した。
彼女はわずかな期待を胸に抱いた。拓が今回のメイクに関して、玲奈に与えた自由を取り消してくれることを願っていた。
玲奈が戻ってくる前、泉は拓を仕事において理性的で公正な人だと思っていた。
彼女自身が仕事でミスをした際、拓は一切甘やかすことなく、厳しく批判したことが何度もあった。入社したばかりの頃には、会議中に直接名前を挙げられ、全社員の前で叱責されたこともある。
しかし、玲奈が戻ってきてからというもの、彼の態度は一変した。拓もまた仕事に私情を挟む人間だった。ただし、それが向けられるのは泉ではなく、玲奈だった。
期待は裏切られた。拓の答えはこうだった。
「何か誤解があるのではないか?」
泉が言葉を失っていると、拓はさらに続けた。
「玲奈はそんなことをする人間じゃない。契約を打ち切るなんて、彼女にとって何のメリットもないだろう?」
泉は深くため息をつき、
「誤解ではありません。彼女たちと直接話しましたが、どうしても変更しないと言っています」
拓は答えず、逆に問い返した。
「ところで聞いていなかったが、昨日の撮影がなぜ行われなかったのか?玲奈にも通知していないようだが」
泉は一瞬、息を止めた。
拓は、最初から彼女を信じていなかった。
「……うん?」
拓は泉の沈黙を、彼女が何かを隠している証拠だと思ったようだ。
「泉、僕は失望した。昨日、玲奈は君の悪口を一言も言わず、むしろ君のために弁解していた。それに対して君はどうだ?」
その言葉は、冷たい刃のように泉の胸に突き刺さった。
彼女は手にしたスマートフォンを震わせ、呼吸を止め、大脳が真っ白になった。
口中が苦く、唇を動かしても何も言葉が出てこなかった。
耐え切れなくなった泉は、逃げるように電話を切った。
「パタン——」
震える手でスマートフォンを取り落とし、床に叩きつけてしまった。