第18話 揉めている
会議が終わり、拓は椅子にもたれて眉間を揉んでいた。
その時、スマートフォンが鳴った。
拓は画面を確認し、電話を取った。
「もしもし?」
「拓、会社にいる?今から会いに行くわ」
玲奈が甘い声で言った。
拓はデスクのカレンダーを見て言った。
「今日の撮影は早く終わったんだな?」
玲奈は一瞬躊躇してから答えた。
「今日……撮影はなかったの」
「撮影がなかった?どうしてだ?」
拓は眉をひそめた。
彼は先ほどトイレに立ち寄った際、泉のオフィスが閉まっているのを目にしていた。彼女が外出しているのは明らかだった。
泉は広告撮影の際、必ず現場に立ち会う。それなのに、なぜ撮影が中止になったのだろうか?
「私たちが撮影スタジオに到着すると、泉が突然『緊急事態で今日は撮影を中止する』と言ったの。彼女はそのまま帰ってしまったから、何があったのか分からないの」
「何か緊急な問題があったのだろう。撮影がないのなら、会社に来ればいい」
拓は泉の仕事ぶりをよく理解していた。彼女が撮影を中止するのは、相当な理由がある時だけだった。
玲奈は電話越しに冷笑を浮かべながらも、柔らかい声で言った。
「きっと何か特別な事情があったのでしょうね。ところで拓、お願いがあるの」
「何のことだ?」
「今回の撮影で、私の専属メイクアップアーティストを連れて行きたいの。ここ数年海外で過ごしていて、国内の環境にまだ慣れなくて、肌の状態が良くないの。国内のメイクアップアーティストは私の肌のことを知らないから、期待通りのメイクにならないかもしれないわ。でも私の専属アーティストなら、私の肌を一番理解しているし、最高のパフォーマンスができるの」
「そんな小さなことまで、わざわざ報告する必要があるか?」
玲奈は微笑みながら答えた。
「小さなことかもしれないけれど、仕事の話では何でも事前に報告するべきだと思うの。これが誠意と相互尊重よ。私はこの広告契約をとても大切に思っているの。だから、事前に話しておけば、誰かに『大物ぶっている』なんて言われる心配もないでしょ?」
「確かにその通りだ」
玲奈のように些細なことでも拓に報告する人と、今回の撮影中止を事前に知らせなかった泉。二人を比較すると、一目瞭然だった。
とはいえ、拓は泉の仕事に対しては絶対的な信頼を寄せていた。MQブランドの発展をほとんど任せてきた彼は、泉に十分な自主権を与えていたのだった。
拓はこの件について特に急いで確認することはなかった。
翌日、玲奈とそのチームは予定時間通りに到着した。
昨日準備した撮影セットはそのまま残されており、再度の準備は不要だった。
玲奈はメイクを終え、衣装に着替えると、すぐに撮影が始められるはずだった。
しかし、またもやトラブルが発生した。
「朝倉部長、急いでメイクルームに来てください」
アシスタントが走り寄ってきて報告した。
「どうしたの?」
泉は顔を上げた。
「安部さんが連れてきた化粧師と小森さんが、メイクとスタイリングのことで揉めているんです」
泉は手元の雑誌を置くと、メイクルームに向かった。
メイクルームに到着すると、小森宏美が苛立った表情で出迎えた。
「泉さん、ちょうどいいところに来てくれたわ。安部さんが連れてきた化粧師が、めちゃくちゃなメイクをしてるの。自分で見て判断して」
泉が中に入ると、川田美優がにこやかに近づいてきた。
「朝倉部長、紹介しますね。この方が玲奈の専属化粧師のミラさんです。ミラさんのことはご存じですよね?ミラさんはミス・ワールドの専属化粧師なんですよ」
小森宏美は目を大きく動かしながら、露骨に白けた表情を見せた。
「こんにちは」
「ミラさん、はじめまして」
泉は軽く頷いた後、川田美優に向き直り、
「川田さん、安部さんが専属の化粧師を使うことは理解できます。ただ、メイクとスタイリングがなぜ指定通りに行われていないのですか?」
川田美優は微笑みを浮かべたまま、
「朝倉部長、そんなに怒らないでください。ミラさんは、こちらで指定されたスタイリングやメイクが玲奈さんには合わないとおっしゃっています。ミラさんほどの世界的な化粧師が考えたデザインなら、服装にもぴったりだと思いますが?」
泉が何も言う前に、小森宏美が我慢できず声を荒げた。
「マネージャーさん、それは誠意や適合性の問題じゃないでしょ!ミラさんのメイクとスタイリングは、今日の撮影テーマに全然合っていないんです。こんなもの、広告として何の意味もありません!」
川田美優は軽く笑いながら答えた。
「小森さん、今の広告契約はファン数で勝負するものです。玲奈さんの影響力を考えれば、メイクがどうだろうとファンは商品を買いますよ。スタイリングなんて、そこまで重要ですか?」
小森宏美がさらに反論しようとすると、泉が手を挙げて彼女を制し、川田美優に向き直って言った。
「川田さん、ここで重要なのは双方の協力関係です。契約に基づけば、広告撮影中、安部さんは私たちに協力する義務があります。あなたたちが勝手にメイクやスタイリングを変更するなら、事前に相談すべきです」
その時、玲奈が突然話に割って入った。
「泉さん、本当にごめんなさい。連絡するのを忘れていたの。でも、この件は昨日すでに拓に相談して、彼から許可をもらっているの」
泉は驚愕した。
言葉を発しようと口を開いたが、喉が砂を飲み込んだように乾き、声が出なかった。
一瞬で、自分の正当性を主張していた行動が滑稽に思えた。